ツインレイに出会ってしまった!-5『ダブル不倫?』
彼と出会って2、3か月の頃、既婚者同士の私たち、しかも、仕事でしか会う勇気のない私には、まったく2人の道が見出せなかった。
自分の気持ちに罪悪感を抱く事もあったけれど、人を好きになる、ということは、とても神聖なこと。
相手の優しさや良いところに惹かれて、相手を幸せにしたい、と願う。
その気持ちに後悔はないし、好きになってしまったら、仕方がない。
彼からは言葉にならない沢山の思いを仕事を通して受け取っていた。
だから、私は言葉で正直に彼に気持ちを告げた。
さて、じつは私の夫は1年前、私のお金を使い、他の女性や仲間たちと海外旅行に行っていた。
その時に1番悲しかったのは、当たり前だけどウソをつかれたこと。
本当のことを言って浮気する男性など皆無かもしれないけど、男女の仲でなくなっていたとしても、夫婦はお互いに苦労した時代があり、信頼して支え合って生きてきたはずだ。
だから、私は、夫にされて悲しかったことを、自分は決してしないでいようと思った。
だから、私は自分自身の本心は別として、彼と仕事をしていること、彼に好かれていることを夫にも話し、食事に行く時にも、正直に伝えた。
彼や夫とのこんな話を友人にすると、みんな、ダブル不倫だとか、さまざまな事を言い始める。メディアでは、不倫した芸能人が叩かれる。
だけど、なんだか、その環境自体が、おかしくない?
私たち人間のルールとは法律ではなくて、信頼関係だと私は思っている。
私は自分がされて嫌なことは相手にはしないようにするが、それを人からどうこう言われることもない。あくまでも私の判断なのだ。
ただし相手にしたことは良いことも悪いことも倍になって返ってくる。
これが、私たちの世界の本当のルールなんじゃないの?
私たちは、家庭や会社や社会の一員でもある。
だけど、その組織に所属して、こうするべき!と与えられた夫や妻、社員、国民といった立場をこなしていくのが本来の姿なんだろうか?
本来なら、それらの役割も、自分自身が選びとる立場であり、他人や、ましてや組織から気持ちや行為を強制され、自分の頭で考えて判断する余裕さえ与えられないのは、動物と同じで、おかしくないだろうか?
そんなことにふと気付いたりした。
ただ、そんなふうに考えられる社会ではない事も分かっている。
『仕返しなんかしたら、自分自身が傷つくだけ。無用な争いや感情のもつれに費やす労力はムダだ。それより、幸せや楽しみに時間をかけた方が自分自身のため』と今は割り切れる私も、昔は仕返ししたいと考えた事もあった。
また、黙っている方がお互いのためだと考える人だっているだろう。
だから、彼が奥さんには、私と会って食事することすら話してない、という言葉を聞いても、当たり前だよね、と思った。
それは彼の都合だから、とやかく言う気はないけれど、私は必ず幸せにならなくてはならない、不幸になる道を選ばない、そう心に誓っていた。
そして、彼と会うとやはり好きな気持ちが溢れてくるから、当面は仕事だけのお付き合いにしよう、と考えた。
その仕事は、2人で作品を創ること。
たぶんそれが私たちに与えられた使命、そんな気がした。
●今日のお花
サクラが綺麗に咲きました。真っ白い雪のよう。